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ご詠歌の想い出
子どもの頃、大家族で長男である父の兄弟姉妹も一緒に住んでいました。もちろん祖父母もです。その叔父叔母たちも病気で若くして亡くなりました。又、祖父も私が一歳の誕生日を迎える直前に60歳過ぎで旅立ちましたので、私が小学校に上がるころまでに何度も家から葬式を出しました。葬式のあと、49日の中陰があけるまでは毎日、夜になると新仏を祀る祭壇の前で大人たちが西国のご詠歌をあげるのです。それを私達子どもも後ろのほうに坐って分からないままに手を合わせ小さな声で唱和するのが普通でした。祖母が「いちばん、きのくに なちいさん、...... ふーだらくやー きしうつなみは みくまののー....」これが三十三番まで続き、途中や最後に番外札所のご詠歌が入り、姉、妹、それに私にとってはもうそれは長い時間で、途中で足はシビれ、また時には眠くなって畳の上に転んでしまうようなこともありました。このような49日の間だけでなく、春彼岸、お盆、秋彼岸それぞれの期間中も同じようにご詠歌をあげる習慣がありました。各札所寺院のご詠歌の字句は何となく分かる部分もありましたが、こどもには理解できないことが殆どでした。幼いこどもに意味などわかるはずがありません。ご詠歌の本は平かなで大きく書かれているので、たどたどしいながらも読んで大人の節回しについていくのが、精一杯でした。「よもすがら つきをみむろと わけゆけば うぢのかわせに たつはしらなみ」三室戸寺のご詠歌も全く何のことか分からず、祖母や両親に続いて声を出していました。その祖母も父も母も既に見送り、ご詠歌の想い出も遠い昔になりました。今は毎週末になると祖父母、父母、叔父叔母たちの待つ田舎の仏壇で灯明をあげ香を焚き、ひとり手を合わせています。青蓮様のお陰で向こうに行った人たちも私の心の中にいつもいることを思い起こすことができました。ありがとうございました。今宵は仲秋の名月。
ご詠歌
コメントを有り難うございます!
実は、私ご詠歌というものを、実際にあまり聞いたことがありません。
と言うのも、身近な親族で亡くなったのは、父方の祖父だけで、恐らく生まれが東北という地域だったからか、
あまり聞くことがない環境におりました。
ただ、一度だけ聞いたご詠歌は、分からないながらもなぜか心地よく、
自然に手を合せたくなるような印象を受けたのを覚えています。
私など、本当に未熟者で自分のことすら分かっていない者ですが、少しでも菜根行者様の心に訴えられるような文章を書くことが出来ていたならば、この上なく幸いです。
昔から読んでいて、本当に好きな小説が有ります。
それも、山伏の少年が活躍する小説なのですが、その小説に今私が常に自分に言い聞かせている言葉が有ります。
それは、『落葉帰根』と言う言葉です。
葉は朽ちて落ちても、それが肥料となり根に帰ることで新しい命を育てる・・・
まさに、菜根行者様のおっしゃったとおり、亡くなった方々は思い出と共に菜根行者様の心となりいつも一緒にいて下さっているのだと思います!
未熟者が生意気なことを言って申し訳有りません!
私も、菜寝行者様のおかげであの言葉を改めて考えることができました!
有り難うございました!!
実は、私ご詠歌というものを、実際にあまり聞いたことがありません。
と言うのも、身近な親族で亡くなったのは、父方の祖父だけで、恐らく生まれが東北という地域だったからか、
あまり聞くことがない環境におりました。
ただ、一度だけ聞いたご詠歌は、分からないながらもなぜか心地よく、
自然に手を合せたくなるような印象を受けたのを覚えています。
私など、本当に未熟者で自分のことすら分かっていない者ですが、少しでも菜根行者様の心に訴えられるような文章を書くことが出来ていたならば、この上なく幸いです。
昔から読んでいて、本当に好きな小説が有ります。
それも、山伏の少年が活躍する小説なのですが、その小説に今私が常に自分に言い聞かせている言葉が有ります。
それは、『落葉帰根』と言う言葉です。
葉は朽ちて落ちても、それが肥料となり根に帰ることで新しい命を育てる・・・
まさに、菜根行者様のおっしゃったとおり、亡くなった方々は思い出と共に菜根行者様の心となりいつも一緒にいて下さっているのだと思います!
未熟者が生意気なことを言って申し訳有りません!
私も、菜寝行者様のおかげであの言葉を改めて考えることができました!
有り難うございました!!